凹まない技術 ― 西多昌規, 2013
対象者
- 落ち込みやすい人
- 一度落ち込むと、なかなか立ち直れない人
- 真面目で、責任感が強い人
僕はガラス、いや、カバーガラスのハートの持ち主だ (理系ジョーク)。
ちょっとした失敗に深く傷つき、そして何日にも渡ってクヨクヨクヨクヨと悩む。それが頭の中を覆いつくし、他の作業に集中できなくなってしまう。生産性がゼロどころかマイナスに振れてしまうのだ。
本書は、こうした豆腐メンタルホルダーに心の持ちようを説く一冊。
人を落ち込ませやすい現代社会の背景から始まり、人が落ち込む原因、落ち込みやすい性格へと展開し、落ち込んだ時の対処法や落ち込みにくくなるための心構え・習慣を分かりやすく説いている。
本書のポイントは二つ。
- 根拠がしっかりしている
- 落ち込むことを許容している
著者の西多昌規氏は、医学博士であり精神医。つまり学者。世界中の研究例や自身の知識と経験を根拠として裏付けながら主張を述べているので、信ぴょう性がある。
医学や心理学の世界は人間という極めて複雑な系を対象としているから、化学の「酸と塩基を混ぜたら水と塩が生成する」というような単純な世界ではないけれど、根拠が提示されているというのは非常に重要だ。単なる精神論ではない、と思えるから。
そして本書は、落ち込むこと自体は許容したうえで、落ち込んでも立ち直るエネルギーを獲得することに主眼を置いている。類似書籍では落ち込むこと自体を否定する記述が多い気がする。心を鍛えに鍛えて凹むこと自体を防ぐ、というアプローチだ。でも、メンタルの弱さに悩む人は「気にするな」と言われても気にしてしまう人。200 km/h の球を投げろ、くらい無理な話。
本書には落ち込んだ時の対処法や落ち込みにくくなる生活習慣がたくさん収録されている。一度通しで読んだ後は、落ち込んだ時の処方箋として活用するのがよさそうだ。
アイデアのつくり方 ― James Webb Young, 1988
対象者
- 発想力に悩む人
- 発想力を求められる人
僕も研究者のハシクレ。発想力を多分に要求される。しかし、僕には大した発想力がない。どうも理詰めばかりで遊び心のない思考回路を持って生まれてしまったようだ。
たくさん勉強をして、知識を蓄えることは嫌いではない。しかし、新しいことを考え出すとなると、途端に何も出てこない。
蓄えた知識を総動員しても、どうも面白みがなく、しかも新規性に乏しいアイデアになりがち。そんな僕の助け舟にならないだろうか、と淡い期待を持ち、読んだ次第。
良いアイデアというのは、僕たちに「おもしろい!」と感じせしめるもの。では、どんなアイデアを目の当たりにしたとき僕たちは「おもしろい!」と感じるだろうか。
思うに、「おもしろい」= 「意外」なのではなかろうか。
「そんな使い方があったのか」「そんな方法があったのか」「ありそうでなかった」
こうした感想を抱いて感心したり、はっとした時に、僕たちは「おもしろい」と感じる。
本書によれば、この「意外」こそ、アイデアの本質なのである。
それは、以下の一文に凝縮されている。
アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもないということである。
「アイデアのつくり方」, James Webb Young
画期的なアイデアというと、この世に存在しなかった途方もないものを想像しがち。しかし、完全に新しいアイデアは存在しない。必ず、既存のもの同士を組み合わせたものである。そして、その組み合わせが「新しい」とき、「おもしろい」ものが生まれる。
だから、おもしろいアイデアは僕たちに「意外」だと思わせてくれる。ということ。
僕が面白いアイデアを思いつけなかったのは、組み合わせが平凡だったからかもしれない。アイデアを出すためには、常にアンテナを広く張って貪欲に情報を蓄える姿勢、習慣が必要なのだ。関係なさそうな情報でも、とりあえず蓄えておく。この姿勢が、僕には欠けていたと気づかされた。
情報過多にもほどがある現代社会。簡単に情報が手に入るようになった現代は、アイデアを生む絶好の環境が整っていると言えるのではないだろうか。
アイデアを出す能力はこの先、ますます重要になってくる。人工知能の発達は本当にめざましいけれども、人工知能には決してできず、人間にしかできないことがある。それは、「新しいモノ」を生み出すこと。
単純な作業やデータの収集・管理・抽出は人間の仕事ではなくなりつつある。これからは、ゼロからイチを生み出せる人間が生き残る時代になるかもしれない。ぜひ、本書に記されたアイデアのつくり方を身につけ、実践したいものだ。
「ディクテーション」と「シャドーイング」のすゝめ
「ディクテーション」と「シャドーイング」という勉強法がある。
Dictation とは「書き取り」を意味し、Shadowing は「後をつける」といった意味合い。
これら二つは、語学学習において非常に有用な勉強法だともっぱらのウワサだ。
ディクテーションは、「聞いた音声を全て書き下す」という方法。
冠詞の a や the 、単数複数なども一切漏らさず、聞いた言葉を全て聞いたとおりに自分の手で紙に書く。これだけ。
つまり、書けない箇所 = 聞き取れない箇所となる。やってみると、自分がいかに聞き取れてないかが嫌というほど明らかになる。
シャドーイングは、「聞いた音声をすぐさま反復する」という方法。
音声の後を追うように、耳に入った言葉を自分の口で反復するのだ。英語のリズムや音の強弱に慣れていないと非常に難しく感じる。
日本の英語教育は「読み」一辺倒だ。
僕も、高校を卒業するまではとてもマジメでイイコだったので、文法や単語は一生懸命勉強した。そして、センター試験では常に190点以上は取れるくらい、「読み」だけはできるようになった。
しかし、当然それ以外、つまり「書く」「聞く」「話す」はまるでダメだった。
最近になってようやく、これでは英語を「使える」とは口が裂けても言えないと感じ、この二つの勉強法を実践しようと思った次第。
ディクテーションとシャドーイングを実践するにあたって、僕が選んだのはこの教材。
アルクから出版されている「究極の英語リスニング」シリーズだ。
この本では、「日常生活」「旅行」「ビジネス」などのシチュエーションごとにチャプター分けされていて、各チャプターに100から300語程度のショートストーリーがたくさん収録されている。
一つ一つの話が短いので、ディクテーションとシャドーイングを行うのに適していると判断した。
各チャプターでは難易度が三つに分けられていて、レベル1は非常にゆっくり丁寧、レベル2は気持ち遅め、レベル3はナチュラルスピードといった具合。レベル3に至っては、環境音が入ったり発音が少し雑だったりして、実際の会話シーンを再現することが意識されていると感じる。
各スクリプトごとに設問があるけれど、僕は一切無視している。目的はあくまでディクテーションとシャドーイング。設問に関係するところだけ聞き取れればそれでオシマイ、ではないのだ。
実際に行った学習手順はこんな感じ。
- 音声を流し、書き取る。単語ごとに区切って書くのではなく、一文あるいはフレーズのまとまりを意識する。聞き取れないところは何度でも聞き直す。
- スクリプトと自分の聞き取りを照らし合わせる。間違った箇所や聞き取れなかった部分があれば、確認したうえで音声を流し、脳に発音を叩き込む。
- 音声を流し、反復する。おおむねリズムや音の強弱を把握し、それっぽく発音できるようになった、音声に付いていけるようになったと感じるまで繰り返す。
実際、ディクテーションとシャドーイングは効果があるのか。
ある、と思う。
恥ずかしい話なのだけれど、約二年前まで、僕はTOEIC (L and R) で550点程度しか取れなかった。リスニングが壊滅的なのだ。
その後、ほとんど勉強らしい勉強もしなかったのだけれど、スコアの有効期限が切れたので再受験することにした。そこで、上に示した勉強手順を受験日1か月前から実践してみた。
そうすると、あっさり730点を超えてしまった。
マグレやろ、という意見は甘んじて受け入れる。その可能性は僕自身も否定しきることはできない。しかし実際、テスト中に妙に手ごたえというか、音声の分解能が向上した実感を確かに覚えた。
もちろん、まだまだ自慢げに誇れる点数ではない。けれど、この点数は以前の僕ではありえないものだったのだ。もう少しこの勉強法を継続して、近いうちにまたTOEICを受験しよう。